催眠療法の今日的意義と本学会の基本的姿勢

日本医科大学客員教授 高石 昇

*本稿は本会第一回学術大会における会長講演に加筆したものである。

 

1.催眠療法の衰退と再活性化

 今世紀初頭にはもっとも有力な心理療法として繁用されていた催眠療法はフロイトがこれを放棄し、解離から抑圧理論へと転向し、精神分析療法の理論体系を発展させていくに伴い、1920年代から衰退の道を辿った。しかしその後、第二次大戦において多発した戦争神経症の治療に目覚しい効果を挙げ、それを契機として地道な臨床的並びに実験研究努力が重ねられ、その結果やっと今世紀後半になって医学・心理学の専門領域から科学として認められ、1955年にイギリス医学会、1958年にアメリカ医学会から有効な治療法として承認された。しかし、その後も神話の様に催眠の弊害が叫ばれてきた。有害現象として叫ばれる事柄は、例えば表に示すごとくほとんどが分析療法の基本に反するとされるものであった。(West and Deckert,1965)
表  催眠による有害現象
  • 分離神経症、分裂病、妄想状態、同性愛などの精神障害を誘発する
  • 無分別な症状除去法によってもとの疾患を悪化させる
  • 退行をひき起こす
  • 治療をいたずらに長引かせる
  • もとの疾患を隠蔽する
  • 表面的な治癒をもたらす
  • 過度の依存をひき起こす
  • 性的誘惑を促進する
  • 犯罪行為をひき起こす        (West & Deckert)

 しかし時代は大きく変りつつある。この30年、催眠の利用は年毎に高い成長率を示し、今日では繁用される心理療法として5指に入るとすら言われている。このブームが着実な科学としての発展であることを示すものとして、催眠に関する文献の検索をpsychological abstractについて1970年より30年間調査した報告では、10年毎に倍以上の増加が見られている。

2.再活性化の要因

 では、その様な活性化をもたらしたものは何であろうか。その要因には催眠療法自身の成長変革の他に、疾病構造や医療経済さらには時代精神などの環境変化の影響が考えられる。

a)疾病構造と医療経済−非指示から指示へ

 環境因として、まず様々な理由による疾病構造の変化特に心因性疾患の激増を挙げねばならない。心理療法の需要がそのため著しく高まり、かつての様に限られた人のプライベートな事柄ではなくて、広い社会的各層と広い障害の人々を対象とする様になった。従って心理療法の費用効率があらためて問われる様になり、さらに長期にわたる非指示的療法の治療成績への失望や伝統よりは改革、思考よりは行動といった現代精神と相俟って、指示的な治療が出現し、行動療法や家族療法が数十年の雌伏を経て陽の目を見るようになった。催眠療法の活性化もこの心理療法全般の傾向を反映する。

b)現代精神分析の変革−催眠への接近

 この様な医療経済の事情もさることながら、催眠活性化への環境因はこれに留まらない。長い間心理療法の主流であり続けた精神分析がこの20年にわたって根元的な変貌を見せている。この点に関して昨年発刊された雑誌「精神医学」42巻に小此木、(小此木,2000)の「精神分析の最近の動向」と題する広範でしかも簡潔に述べられた論説がある。まず「精神分析療法における非解釈的な機序−言語的な解釈以上の何か」(Tronick,1998)と題するボストングループの論文に集大成される様に、フロイト以来、分析療法の基本的な治療機序は治療者の言語的解釈によって無意識を意識化し患者に知的洞察を与えることにあると定義されていたが、それ以上の何かが治療機序にあり前言語的なコミュニケーションが大きな役割を果たすという指摘がなされ、重要なコミュニケーションは言語だけではなく音声にもあるという指摘はすでにこれ迄にあったが、この動向はさらにすすめられ一昨年の国際精神分析学会の大会では「情動Affectの理論と臨床」というテーマのもとで母親の適切な陽性の情動応答性が乳幼児のSelfの組織化に重要な機能を果たすという観察から精神療法における治療者、患者間の「陽性の情動」の意義が明らかにされ、また「情動調律Affect attunementによって生気情動Vitality affectが交流し、これが重要な治療機序になるという主張が提出された(Tronick,1998,1998)。また、現在の精神分析全体の流れは間主観的モデルに志向していると言われている。このモデルは精神分析の治療場面で生ずる出来事はすべて治療者と患者の主観の相互交流の産物であるという観点である。古典的な精神分析では患者の背後に座って受身性、中立性を守り転移と投影の対象になり転移を過去をそのまま再現するものとして解釈し洞察を得ることを目的としたこれ迄のモデルとは対照的な治療観である。

 治療機序に関するフロイトへの反論はこれまでにも主だった分析家からなされており、例えば人間的愛情、母子間の愛情を大切にして治療した方がよいというフェレンツィの主張に対して、フロイトはそれは性的なものへと転落して精神分析の堕落を誘うと厳しく戒めて彼と訣別した。またラカン派のルースタングは自由連想という認知的な再構成の中にすでに暗示が存在し、分析の全過程は「長距離暗示にすぎない」と主張している(Roustang,1978)。フロイトはこれに対しその様な危険は強調されすぎであると反論している(Freud,1964)。この様な歴史的事実を顧みてもまさに現代精神分析は180度の転回をしつつあると言わねばならない。

 さて、この様な動向を催眠の立場から眺めて見ると、まず、治療における非解釈的な機序に関して音声コミュニケーションへの言及があるが、それは催眠研究でこれまでの中心課題とされてきた。リズム、ピッチ、ポーズなど、詩と同様、現代の文字文化に生きるわれわれといえども、その背景に持つ音声文化によって音声刺激により強く動かされる可能性を有しているのである。エリクソン催眠のワークショップなどで無意味語で誘導練習をしたことを記憶しておられる方もいると思うが音声の持つ能力に関してはあらゆる心理療法の中で催眠が特に意を注いで来たのである。この様な刺激によって治療者と患者の間に生理的、情動的なシンクロニゼーションが起こり神経活動は副交換神経優位、右半球優位となり自他の境界がぼやけた非日常的な相互交流が生じ、正に陽性情動や生気情動によって治療者と患者が辧別不能な一つの心理的システムが形成され、間主観的モデルが重視する「抱える環境」に近い体験を患者に与えることが出来る。M・Hエリクソンが定義する様に催眠とは非日常的な相互の交流の状態なのである(Haley,1963,1986)。

 この様に精神分析の変革は心理療法における催眠の重要性が改めて認識されたことを自覚すべきであろう。

c)心的外傷と解離障害

 現代の精神医学のもう一つの動向は心的外傷への注目である。心的外傷の辿る経過はストレス情動反応につづいて無感動や健忘、外傷刺激の侵入が見られる。これは丁度催眠の主な現象である注意集中と解離に相応する。外傷場面への過敏性と外傷イメージの侵入は注意集中に、無感動や健忘は解離に相当すると考えられる。無感動は外傷体験を弱めようとする動きであり外傷イメージの侵入は外傷経験を徐々に再統合しようとするものと考えられる。とすれば催眠はこの治療にまさに適応する技法と考えねばならない。

 さて、解離性アイデンティティ障害(以下DID)を含む解離性障害が近頃我々の近辺にも増加しつつある様に思われる。DIDの存在は何も最近に限られたものではなく19世紀末にかなりの報告があったらしくWilliam Jamesの古典principle of psychologyの中でも「交替する人格」と題してジャネの症例が詳述されている。その後、この障害が消滅したとも思えないのだが、おそらく抑圧理論を唱えるフロイトの影響によって解離の研究者達はジャネーのもとを離れこの研究は衰退した。ところが近年ジャネー時代の再来とでも言えるかの様にDIDを始めとする解離障害が急増し、それに対応して催眠はその変容意識にアクセスするためのほぼ必須の手段として適用されている。では、なぜ催眠が解離状態へのアクセスを可能とするのか。これは重要な問題であるが状態依存学習説がよくこれを説明している。それはあらゆる心身の体験の記憶は、それが学習された状況とともにコード化され、その記憶は学習状況の再現によって最も回復されやすいという現象をいうのである。催眠状態ではこの状況の再現を容易にするのでこの学習記憶を回復させやすいと考えられるが、この現象が最も顕著に見られるのは解離状態である。そのメカニズムについてはロッシーによって、まだ推論を残すとはいえ革新的な解説が試みられている。これは催眠の有効性を心身相関の機序にまで及んで見事に説き明かすものとして注目されているのでここに紹介したいと思う(Rossi,1993)。これまで言葉では心身一如とは言いながらも心と身体はデカルト的二元論を超えることは出来なかったが、それは神経系を唯一の心身の連絡路と考えたためである。ところが心身相関はあらゆる細胞から放出される伝達物質によるものであり、大脳皮質からの電気インパルスが視床下部の細胞で伝達物質に変換されるが、この際、ある経験をした時に放出されるホルモンが情報の伝達とともに、その経験の強さを調節するために学習が状態に依存するのだと考えられる。外傷体験の解離などに見られる心身の多彩な機能障害は、その体験が状態束縛的にコード化され、しかもそれに対し効果的な対応行動をとれない状態におかれたためであると考えられる。従って治療はこれらの束縛状態にアクセスすることが必須であるが、催眠はその束縛状態にアクセスする能力に優れているのである。

3. 現代催眠療法の発展

 古典的催眠療法が神経症レベルの疾患の治療効果に限界のあることは権威暗示のみを行っていたフロイトの歩んだ道が示す通りである。現代催眠はその対策として他の心理療法技法を採り入れ、ここに折衷催眠療法が出現した。たとえば催眠分析療法、催眠行動療法などである。現代の催眠治療の報告の80%ぐらいは折衷催眠に関するものである。

 しかし催眠療法の独自性が可能となるためには他の心理療法に依存することなく、これらの障害に対応出来ることが必要である。この必要性に応える催眠療法自身の改革が生まれ、これが催眠療法の現在のブームへの大きな動因となった。この目ざましい革新がM・H・エリクソンの生涯にわたる業績によるものであることは衆知の通りである。エリクソンは既に催眠が衰退の道をたどりつつあった1930年代から催眠研究に着手し、催眠誘導の成功率を上げることに意を用い、それまでの権威的な働きかけによるものを拒け、二人の人間のとる特殊な相互反応としてとらえた。相互に反応するのであるから誘導技法も患者の欲求や認知の枠組みに応じたものでなければならず、これが自然法とか利用法と呼ばれる技法である。また無意識に直接語りかけることを可能とする10指に余る間接法も考案した。この様な誘導の体験が新しい心理療法技法を生み出すこととなり、例えば症状を受け容れながら、しかもこれに変化を起こそうとする症状利用法もそのひとつである。この様にして指示療法が必然的に蒙る患者からの抵抗にソフィスティケートな対処法を具有する独特な指示療法を発展させたのである。現代催眠ではこれがむしろ主流であり患者の行動を操作したり条件づけるよりは、患者の無意識に接近して内的作業を自発的に行わせることの促進に要諦があるのである。その根底にある個別性への配慮は催眠療法のみならず心理療法界に大きなインパクトを与えた。

 催眠が心理療法にもたらしたもう一つの貢献はDIDの診断と治療を通じて人格というものの概念に変革をもたらしたことである。これまでは暗に人格はまとまった一つの単位と考えられていた。しかしそれは時間とともに変化するプロセスであり、いくつかの自我状態ego stateからなるもので、顕在する“実行”自我と潜在自我とがありDIDは潜在自我が自発的に表面にでるが、DIDでない症例では催眠を用いて表面化させることが出来るという。自我状態療法ego state therapyは自我状態間の葛藤の解決を図ることを目指すものでWatkins夫妻によって開発され、様々な神経症症状の背後に自我状態間の葛藤があり、自己を一つの家族として見立て家族療法や集団療法の技法を用いて互いの対話をはかり良い治療効果を報告している(Watkins,1997)。

4. 本学会の基本的姿勢

 以上述べた催眠療法の復活盛況ぶりは実は海外の事情に関するもので、わが国での催眠利用はまるで鎖国政策でもとっているかの様な不振が1970年代から続いていて、まだ活性化の兆しが見られない。その理由としては基礎的訓練と臨床適用の乏しさ、ストラテジー催眠療法の導入の遅れなどがあげられよう。これまでの本邦における学会主催の技法研修会は標準催眠誘導法のせいぜい中級程度のものが年に1、2回あるだけで、これで神経症レベルの臨床に立ち向かうことは不可能に近い。臨床適用の報告が依然ほとんど見られないことも当然である。ところが催眠トランスがひとたびひきおこされると、これは他の心理療法の追従を許さない程の心身への影響力をもつ。まるで鋭利な刃物の様に、包丁さばき如何によっては諸刃の剣となるのである。従って誘導法は直ちに利用法につなげられなければならない。基礎訓練には対象とする疾患についての知識や力動的および行動療法などの主な心理療法の基礎を身につけなければならない。この文脈において何とか海外の訓練基準に近い基礎訓練の機会を設けることが本学会の第一の目的である。

 催眠後有害現象に関する海外での報告はすでにかなりあり、これらを実験研究、臨床適用、素人催眠にわけて通覧してみるとそれは圧倒的に素人催眠に多く見られる。結局危険の要因は催眠にあるのではなく催眠者にあることが明らかとなっている。どの様な催眠者がいかなる目的と文脈で誰に催眠を実施するかが問題なのである。ところが催眠現象は神秘的体験や憑依体験などとどこか通底するところがあり、これに興味をそそられる人々の同好会があちこちで散見される。これは他の心理療法に類を見ない催眠にまつわる暗い背景であるが、これらの素人治療による有害例や無効例の発生が跡をたたない。これでは催眠療法が専門家達から白眼視されても仕方のないことであろう。この様な犠牲者を防ぎ、科学的な催眠を啓めることが本学会の究極の目的とするところである。そのためには厳しい会員資格制限と倫理が全会員に求められなければらならない。われわれの努力は今その楮についたばかりである。自らの非才を省みて道は険しく遠い。

 

  1. Freud,S., Construction in analysis, In Standerd Edition23, Hogarth,London,255-269,1964
  2. Haley,J., Strategies of Psychotherapy, Grune & Stratton Inc.,1963(高石 昇訳、精神医学選書�戦略的心理療法、黎明書房、2001)
  3. Haley,J.,Uncommon Therapy, W.W.Norton&Company,Inc,1986(高石 昇、宮田敬一監訳、アンコモンセラピー−ミルトン・エリクソンのひらいた世界、二瓶社、2001)
  4. 小此木啓吾、精神分析の最近の動向、精神医学42(3)241-253,2000
  5. Rossi E.L.,The Psychology of Mind-Body Healing. W.W.Norton&Co,1993(伊藤はるみ訳、精神生物学、日本教文社、1998)
  6. Roustang, F., Suggestion au long cours. Nouvelle Revue de Psychoanalyse,18,169-192,1978
  7. Tronick EZ, Non-Interpretive Mechanisms in Psychoanalytic Therapy, The ‘something more’than interpretation. The Process of Change Study Group(Stern DN, Sander LW, et al).Int J Psychoanal 79,903-921,1998
  8. Tronick EZ, Interactions that effect change in psychotherapy, a mental based on infant research. Infant Mental Health Journal[special issue],19(3)Fall,1998
  9. Tronick EZ, Intervention that effect change in psychotherapy, A model based on infant research. Infant Mental Health Journal 19,227-229,1998
  10. Watkins J.G. and Watkins H.H., Ego states, W.W.Norton & Company, Inc,1997
  11. West L.J. and Deckert G., danger of hypnosis JAMA 192:9-12,1965